お猿の戯言 homosapiensaru's babble


2009年4月29日[水] ストレス解消法

突然、高田渡の「初めての我が児に」という曲のイントロが脳裏を過る。
ギターのフレーズを頭で追って行く。手元のアコースティックギターをおもむろに手にしてそれっぽく弾いてみる…。

そうだ!You Tubeにないかな?…と思ったけど残念。

下手糞ながらギターをかき鳴らして歌うことがストレス解消。
歌い出すとあっという間に時間が経ってしまう。

死ぬまでにちょっとでもギター、巧くなりたいね。


「初めての我が児に」は、「FISHIN' ON SUNDAY」というアルバムに入っています。
高田渡の初めての我が児、高田漣のギターも最高です。

 → 高田渡「行かなくちゃ」

 → 高田漣「Amarcord」




2009年4月26日[日] 個展終了しました


本日、水戸の個展「standard」が無事に終了しました。
たくさんの方々にご高覧いただきました。ありがとうございました。
遠いのに東京からも足を運んでくださる人たちがいて、ありがたいことです。
貴重な感想やご意見を賜りました。ぜひ次に反映させていく所存です。

描いている瞬間の至福と、展覧会場に作品が並び終えた瞬間の至福と、自分の作品で埋め尽くされた展示空間内にいる瞬間の至福と…この三つの至福の味を知ってしまうと展覧会を開催することの悦びは格別のものとなってもう病みつきになってしまいます。

次は、11月にギャラリー5610で個展です。




2009年4月25日[土] フィリップ・ワイズベッカー

ⓒPhilippe Weisbecker<br>
ⓒPhilippe Weisbecker
"Serres 温室 GH608 2008"
ⓒPhilippe Weisbecker<br>
ⓒPhilippe Weisbecker
"UKIYO-E-TABLE"


Philippe Weisbeckerの作品を観に銀座へ車で駆け込む。
またまた最終日に、クリエイションギャラリーG8へ飛び込む。

フィリップ氏の肩書きは、アーティストだけでいいのでは?
なぜイラストレーターも名乗っているのだろうか?
絵からはイラストレーションという匂いがしてこない。
このテイストでイラストレーションとしても成立しているのだから素敵なことなのだが…。
展覧会としてのプレゼンテーションはやはりイラストレーターの枠を超えている。

巧みに汚すのはシンプルさ故。固いくらいにみえるたどたどしさは饒舌にならないための手段であり、巧く見せないように匿名的な表現にすることで却ってワイズベッカーの思想が剥き出しになる。素人がたどたどしく好きなものを一生懸命に描いている風でありながら、描かれているものが目に飛び込んでくるのではなく、彼の表現そのものが浮き彫りにされてくる。

SO COOL! SO NICE! であった。久し振りにクリエイティブ魂が揺さぶられた。いい展覧会だった。

 → リクルート クリエイションギャラリーG8

もうひとつ別のギャラリーでも開催中だ。

 → Galerie sur-murs



2009年4月24日[金] はなおじさん


パンジーの顔はどう見ても髭おじさんだよな。
アメリカのアニメにこんな保安官いなかったっけ?
前世で悪いことしたから、今生ではパンジーにされてしまったのか?
あるいは魔法をかけられているのか?
誰かがキスしたら元のおじさんに戻ったりして?
そうだ今度そっとキスしてみよう。



2009年4月23日[木] スーザン・ボイル


助教の三浦先生からこんなコメント付きでメールが入ってきました。

「スーザン・ボイルさんは教会のボランティアで歌っていたみたいなのですが、先日亡くなった彼女のお母さんが、『あなたの歌はもっといろんな人に聴いてもらった方がいい』と言っていたのでこの番組に出たそうです。歌ってすごいですね。」

いやぁ、泣きました。

まぁ、聴いて観てください。

 → http://www.youtube.com/watch?v=1t8m7CkpIK0




2009年4月12日[日] 水戸へ

「自由の範囲」2000ⓒhiroki taniguchi
「自由の範囲」2000ⓒhiroki taniguchi


Galerie Cielの搬入・設営が無事終わる。
谷口広樹の「standard」が自分ながらに読み取れる展覧会になったと思う。
いよいよ14日[火]から開催です。

何しろ選りすぐりの作品が並んだので、皮肉にも東京よりも充実した展覧会になった。
谷口のファンという者が存在するのなら、これはうれしい展覧会だ。

設営し終えてギャラリー内を見渡したとき、絵を描いていてよかったと感じた。
いい絵がかかっているかどうかは別として、純粋に絵に携わっていることの至福を感じることができた。

年代によっていろいろなタイプの絵が展示されているが、谷口のエッセンスがまとめて観れるのは自分で言うのも変だが興味深い。

車でないと水戸駅からアクセスがやや不便なので、声だかに来てぇ〜とは言えないのですが、もし来られるならいい方法があります。ご一報ください。
ちなみに、私は19日[日]と26日[日]の両日在廊しています。
どうぞよろしくお願いいたします。




2009年4月11日[土] 旧友と話す

2003ⓒhiroki taniguchi
2003ⓒhiroki taniguchi


明日の水戸への搬入の準備をしていたら、友人から電話が入った。
もう10年来だろうか。懐かしい声は全く変わらず、彼と話す時僕の中の何かがフル稼働する感覚がある。それも声を聞き話していくと同時に甦ってきた。

大きな絵を広げ、これを持って行くべきか否かを考えていた。そして、止めようという結論に達したとき電話が鳴った。

しばらくその絵を眺めながら彼と話していくと、一度色褪せてしまったその絵への評価が変わっていくのがわかった。
第一印象が大事なのはわかるが時間をかけてつき合っていくうちに良さがわかるってことはある。この絵もそのタイプなのだろう。
観ていくうちに細部が囁き始め、絵のそこかしこが息づき始める。夜空を眺め、星座を発見していくような感覚に似ているかもしれない。ただの暗い夜空が違ったものになっていく。

第一印象も素敵で、つきあっていっても素敵という作品に仕上げなければならないと思うが、対峙していくことで魂が馴染んでいくという要素はとても大事だと改めて実感させられた。

なかなか普段時間がない中で、こうした時間を少しでも与えられたことの意味を感じた。




2009年4月10日[金] 音

Concert of Concert ⓒhiroki taniguchi
Concert of Concert ⓒhiroki taniguchi


イヤホンをIn-Ear型のものにしたので、久し振りに電車の中でipodを使ってみた。
僕の耳には普通のイヤホンがうまく留らない。特に左の耳の穴が小さいので難儀をしていた。
このイヤホンはネットで見て購入したものだが、実物が届いて実際に手にするとどうもデザインが気に入らなかったが、耳にはよくフィットしてくれる。

新宿で山手線に乗って運良く座れてムービーを見だした。
イヤホンは、辺りの音を適当にシャットアウトしてくれて映像に集中できていい感じだ。

しばらく映像に夢中になっていた。ふと周囲に気を向けると、いつまでたっても発車する気配がないことに気がついた。乗ってから何分経ったのだろう。何かあったのだろうかと外を見れば、確かに止まっている。…が様子が変だ。あれっ、おかしい?…とよく見ると、もう代々木駅のホームに停車していた!
えっ…!と思っている間に、外の景色がするすると動き出した。

電車が走りだしたのだが、発車を知らせる音やドアが閉まる音、また動き出すときの車両のきしむ音などが聞こえないため、自分が移動しているという感覚がなくなっていることに気がついた。

こういう感覚っていうのは、音に左右されることが大きいんだということに今更ながら気がついた。




2009年4月6日[月] しごと

ⓒhiroki taniguchi 「nasu ga mama」
ⓒhiroki taniguchi 「nasu ga mama」


日々、しごと。

絵を描いたり、色校が届いたり、会議をしきったり、プレゼン用のカンプを持参し説明に出向いたりと日々バタバタバタバタとしている。

休みらしい、休日っていうのは作り出さないと存在しない。
しごとを抱え込む癖有り。
その中に本当に自分でなければならないしごとがいくつあるのか?

今日、小田急線内の車額広告に、勝間和代の近著の「断る…」なんとかっていう本が宣伝されていた。彼女曰く、断る術を体得してから人生が変わったそうだ。

まぁ、確かにNO!と言えることって大事だなと感じる。
忙しさに甘んじてしまうことが一番怖い。

タニグチでなければならないしごとをしましょう!





2009年4月5日[日] 桜

それぞれの<br><br>心に棲まう<br><br>桜かな
それぞれの

心に棲まう

桜かな


昨日は、桜が満開の下、入学式が終わった。

いつのまにかそこかしこで桜が満開になっていた。

桜好きの西行の頃は、八重桜が中心だったと聞いたことがある。
その後ソメイヨシノ系を主流にした者がいるそうだ。
今度ちゃんと調べてみよう。

刷り込まれているのだろうか、やはりぼくもソメイヨシノ系に惚れる。

毎年のこと、この季節になると国中が不思議なオーラに包まれる。
ふわ〜っと軽くなり磁場がいつもと代わり次元さえ移動してしまっている感じだ。

夕べも今日も花見に誘われたが、今抱えている仕事が片づかず断念。
マンションのベランダから見える5〜6軒先の桜を眺めて気持ちを満足させた。

さてと、仕方がない。仕事に向おうじゃないか…涙。




2009年4月2日[木] 意識が高いということ


第2キャンパスの設計担当の方々とミーティング。
提案があるということの素敵さ。感涙である。
いいキャンパスになりそうだ。

ルーティンワークに陥ることなく、世の中に対して日々提案していける姿勢を持つこと。


英語で「作品」という意味が「work」だということを知ったとき感慨深いものがあった。

作品とは、成し遂げた成果であること。


仕事をこなすの「こなす」とは、漢字で「熟す」と書く。
その意味は、「身につけた技術・知識によって、
困難で手間のかかる事柄をうまく処理する」とある。
仕事をただこなすというこなし方はあり得ない。
食べた物を胃腸で消化するという意味もあるように、
こなすことは、栄養摂取につながらなければ意味がない。
こなすことは、与えることであり、同時に与えられることでもあった。

櫨(はぜ)の実




添付した図版は櫨(はぜ)の実だ。
感じのいい器専門のギャラリーに入ったら展示用の棚にこいつがディスプレイされていた。
櫨の実は、和ろうそくの原材料だ。
和ろうそくが素敵と思ったのは、後に蠟(ろう)が残らず、
跡形もなくすべて燃え尽きてしまうところ。
煤(すす)が凄いから、100%エコロジカルかどうかはわからないが
廃液物というか老廃物というかそういったものを残さない。
その事実を目の当たりにしたとき、驚嘆した。
この土に還る感覚がたまらない。

自分も、和ろうそくのように燃え尽きよう。
この世に一片の悔いも残さずあの世に移動しようと願う。
残すのは、成し遂げた成果のみ。



2009年4月1日[水]エイプリル・フール

このどこかで<br>誰かが<br>働いているかも<br>しれないね
このどこかで
誰かが
働いているかも
しれないね


一日中部屋に引きこもり仕事を片づける。
淡々と片づけるしかない。片づいていくことの喜び。次に行けることの喜び。

今日は、卒業した教え子たちが社会人となる日。
しっかりしたヤツも甘えん坊もみんな学生じゃなくなる。
どうしているだろう。
辛かっただろうか。楽しかっただろうか。
心配には及ぶまいと腹をくくろうとしたが
つい、励まそうと全員にメールを送る。

何人かから返信が届いた。ありがとう!
なんのことはない、こうして励まされるのは自分自身なのだ。

さて、また仕事の続きです。
早く片づけて、次ぎに行くのです。
誰にも騙されなかったエイプリル・フールが終わります。