お猿の戯言 homosapiensaru's babble


2009年3月31日[火] 色彩だなぁ


お金を下ろそうと銀行に入るとATMの前が長蛇の列で、その黒々とした固まりに辟易してすぐさま外へ出た。そうだ今日は、年度の最後の日だったなぁと社会に溶け込んでいない自分を笑い、肩をすぼめてみた。

頭はいつも作品のことでいっぱいで、灰色だったり虹色だったりする念いがぐるぐるととぐろを巻いている。水戸の個展の搬入もいよいよ近づいてきたなぁ、なんて思いながら用事があって吉祥寺にやってきた。

吉祥寺でお茶を飲みながら、ここまで築いてきただろう自分の世界観を振り返る。

何に向っている時に自分が最も高揚しているのかといえば、色彩と戯れているとき、あるいは格闘しているときにそれが顕著である。泥遊びのように絵具と過ごす時間が至福である。色彩の海に飛び込み、泳いでいる瞬間、自分の魂が狂気しているのがわかる。

やっぱり、色彩だよなぁ。


「HOSPITALITY Ⅱ」<BR>2003ⓒhiroki taniguchi<BR><BR>
「HOSPITALITY Ⅱ」
2003ⓒhiroki taniguchi



2009年3月23日[月]〜30日[月] いろいろありましたぁ

卒業生から花やら画材やらが贈られ<br>ました。猿はレターセットです。
卒業生から花やら画材やらが贈られ
ました。猿はレターセットです。


バタバタとしており、diaryの更新もままならずでした。


23日[月]は、卒業式でした。
今年度はイラストレーション研究室とグラフィックデザイン研究室の両研究室にまたがり総勢60名近くを見ていた。異常だよな。
グラフィックデザイン研究室として教える学生はこれが最後なので、この卒業式は感慨深いものがあった。
学位授与式から始まったこの日は、最後に少人数でカラオケに行き、盛り上がった。

みんな、これから始まるんだぞぉ〜!全身全霊で仕事に励めよ!


25日[水]は、卒業制作展の打ち上げがあり、これも大いに盛り上がった。
中野で2軒梯子をし、その後新宿に移動。ゴールデン街で語り、二丁目でぐでんぐでんになって、帰宅。時間を見たら4:30を廻っていた。久方ぶりに翌日は二日酔いだった。おぇ〜っ…。


29日[日]は、一泊で広島出張のため羽田へ向う。予備校での進学相談会に参加するためだ。予備校側から自分が指名されたので断わざるを得ず出席と相成った。
昨今では、こういったどさ回りも先生方の重要な仕事のひとつになっている。
ここの受験生はみな熱心で、相談にも熱が籠った。


天守閣からお堀を臨む
天守閣からお堀を臨む



二日目の30日[月]は、10:00から他の予備校を廻った。正直眠くて瞼が開かない!
地方の予備校の実態を目の当たりにした。認知度の低い東京工芸大学が生き延びていくためのノウハウを眼で耳で足で実測しながら、試行錯誤していくためにこういった活動が必要不可欠になっている。

次の場所へ向う途中、広島城へ立寄った。桜も開花した城内は春爛漫であった。周囲のお堀の水の色を背景にした桜の美しさは格別だった。展示されていた資料を見ながら、歴史をもう一度勉強しなければと切に感じた。

お昼には、広島出身の教え子に会った。東北芸術工科大学時代の教え子だ。
彼(あだ名をガンポンという)が広島で3位というお好み焼き屋を予約しておいてくれた。
作家と話をする機会がほとんどないらしく、久し振りにアートの話ができて喜んでいた。
ガンポンは、行動力のある男で、ニューヨークへ単身出掛け、めぼしい画廊を一軒一軒廻り、展覧会の話をつけて来てしまうという無茶振りをする、頼もしくて、とってもカワイイヤツだ。アートの話でお互い興奮して、あっという間に別れの時間が来てしまった。ふたりとも大いなるやる気が高まり、無性に制作意欲が沸くのを感じながら、後ろ髪を引かれながら別れた。
こういうヤツがいてくれるということがどんなに素晴らしく、励みになることか。

素敵な出張をありがとうございます!


最後に…今日は東京イラストレーターズ・ソサエティの第7回公募展のオープニングパーティだったが、広島からの戻りが遅くなり、顔を出すことができなかった。
僕の研究室から入選・入賞した者が6名いて(これは選ばれた47名の内の約13%を占める人数で、私の自慢です。しかも、一人は銀賞、一人はMY BEST ONE賞に輝きました!)、彼らが会場に詰めているのにも関わらず、その場でおめでとうを言えない自分が情けなかった。帰宅後彼らに謝罪のメールをした。そしてうれしいことにみんな素敵な返信をくれた。みんな今度、祝い酒を交わそう!




2009年3月22日[日] 杉本博司 歴史の歴史

21世紀美術館でのリーフレット
21世紀美術館でのリーフレット


今日まで、金沢の21世紀美術館で写真家の杉本博司の展覧会「杉本博司 歴史の歴史」があった。これはどうしても見逃せない展覧会だ。絶対に!と思っていたら最終日を迎えてしまった。残念!…とはいっても、この展覧会は大阪の国立国際美術館に巡回する。が、どうしても金沢で観たかった。21世紀美術館にもまだ行ったことがないので尚更だったのだが…。

行こうと思えば行くことのできた金沢を断念したのは、イラストレーターの吉田カツさんの京都での個展の案内状が届いたからだ。祇園にある何必館でのカツさんの展覧会の話はずいぶん前から聞いていた。絵画としての展覧会だそうで、待ちわびていたので楽しみだ。

新年度が始まり、水戸が落ち着いたら出かけよう。連休明けとなってしまうかもな。


 → 国立国際美術館  → 何必館 京都現代美術館




水戸の個展「standard」について

何だか希望が満ちてくる<br>ⓒhiroki taniguchi
何だか希望が満ちてくる
ⓒhiroki taniguchi



2009年3月21日[土] 父の墓参りをして…


幸せとはなんだろう?
お金があっても縛られ なければないで執着する
恋人がいないと嘆き いればいたで愛されているか心配になる
信じたり 愛する というあたりまえのこと
特別になってる

何不自由ない暮らしができれば…って言うけど
それはどんな暮らしなの?
住むところと食べることに苦労しないってこと?
何を食べ どんな家に住めば幸せなの?

そこに好きな人はいるの?

どんなに好きな人のことも
時間とともに 好きじゃなくなるのだとしたら
何かが劣っていたり 秀でていたり
劣っていることを愛したり 秀でていることを憎んだり
そうやって人を裁いていく神のような自分はどこに立っているの?

不自由でないということが 自由であるということなら
自分にとっての 自由って何だろう?
好きなことができているのか? それとも我慢しているのか?
なぜ 好きなことに向かえない? 向わない? 何を我慢しているのか?

できてないと不満を持つ人の魂は受動的になっているから 不平等を振り翳す
勇気を持つことだ 勇気は 無限の可能性を秘めた箱の蓋を外す
そして真の自由を解放するから 魂は救済される

つい 己の幸せのこと 考えてしまうのは 仕方ない
誰しもが後ろ向きになることがある
だけど 誰しもが後ろ向きの意識のままだと 世界はつぶれてしまう

幸せとは 能動的に動くとき その感覚を与えられるものだ




2009年3月20日[金] 水をよく飲む というよりも 水ばかり飲んでる

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


6個あったグラスがいつの間にか1個になっている。

30歳頃に買ったものだと思う。

最近このグラスでよく冷たい水を飲む。
息抜きをしたとき、このグラスをまじまじとよく見たら
とてもよくできたデザインだと感心した。
今まであまりピンと来てなかったが自分に近い世界観がある。

いつものように水を入れてデスクの脇に置いて仕事をしていると、部屋全体に光が柔らかく行き届き、グラスが外気に触れて汗をかいていた。
その様子がとても美しかったので手元のデジカメで何気なく撮ってみた。

もの そのもの そのまま

現象の中で光る もの 雰囲気 情感 演出




2009年3月17日[火] 西伊豆へ


昨日、今日と4年生の卒業旅行で西伊豆の堂ヶ島へ行った。


といっても、初日は仕事が片づかず、徹夜明けのまま夕方に直接宿に入り、宴会からの参加となってしまったが充分4年生と懇親をした…と思う。ちょっと心配?

夕飯から就寝するまでず〜っと呑み続けていた。
ほんとうに久し振りに「大貧民」をやった。僕は結局平民のまま平和に過ごした。いつも貧民や大貧民を行ったり来たりしていたのだが、これは年齢か?関係ないな…。とにかく自分のリアルな人生とは大違い(笑)でにやにやしていた。



二日目の今日、黄金崎クリスタルパークというところに連れて行かれた。
まぁ言わばガラス美術館といったところだ。
観光地特有のしょぼい美術館だろうとはなっから馬鹿にして入った。
案の定、最初の部屋はガラス作家の作品が並んでいたが心が動くようなものは何一つない。

次の部屋はトリックアート的な側面をガラスという切り口で展開しているコーナーで、そこに万華鏡(カレイドスコープ)があって、いろんなタイプのものが十幾つ並んでいただろうか。
最初のいくつかは、ふ〜んきれいだね。ほぉ〜っ、いいねぇ。なんてややテンション上がった風に観ていたのだが、半分位まで行って、「どうせ…」的な気持ちで覗いた万華鏡がやばかった!ス、スゴイのだ…。

こりゃあ、宇宙だぜ!

生まれる前ってこんなところでふわふわしてたんじゃないかって思った。一人でキャアキャア言っては学生に「これすごい!これすごい!」ってアピールしていた。
いやぁ、今更ながらなんですけど感じちゃいましたね。スピリチュアルコスモスにイッちゃいましたよ。大興奮でした。

そんな風に興奮しているもんだから、売店に万華鏡売ってるよぉ〜!って学生がメールを寄越してくれた。早速行くと何種類もの万華鏡が売っていた。迷いに迷って…というのは嘘で、ただひとつ先ほどの展示で感じたものに一番近いものを購入した。
展示してあったものは、オイルの中に赤い粒子が入っていたが、売っていたものは青い粒子だった。断然赤い方が美しかった。僕のハイアーセルフも生前の記憶は赤い場所だったよなと肩を叩いている気がしたが、仕方がない売っていないのだから。
展示してあったものに比べると満足度は低いのだが、それでも充分イケル!

しかし正直、一瞬迷った。購入するべきかどうかをちょっと考えてしまったのは、万華鏡の入っている箱のパッケージデザインだ。万華鏡本体の柄の部分にも同じイラストレーションが施してある。青い色から海を連想するまではいいのだが、それがなぜラッセンのような海中の絵があしらわれるという方向になるのだろう。覗いて展開される世界観はもっともっと深いのだから、相応しいデザインがあるだろう。残念でしょうがない。ラッセンだから買うという人がいるのかしらね。お〜やだやだ。

黄金崎クリスタルパークには、万華鏡だけでなく、他にも見応えのする作品がいくつかあった。最後の大きな吹き抜けの部屋に展示してあったチェコの作家のものが存在感があってよかった。ガラスの華奢で繊細な側面でなく、むしろ無骨でゴロンとしてざっくりとした存在感のある強さが眼を見張った。ガラスってこんなに強さを持っているものなんだ。光を色彩とともに内包し、放ち、マチエールの幅が豊かであり、また、存在を隠しつつ、アピールするといったガラス特有の表現が心に響いた。くぐもった白光を秘め、大胆さとエレガントさが同居した岩田瑠璃の手水鉢のような作品も素敵だった。ごつごつとしたしなやかさを持ち、朴訥に見せながらも饒舌に語りそうな、幾つものギャップを内在した作品だ。

バスに戻ると、早速万華鏡を覗く。しばらくぼ〜っと我を忘れ夢中になっていた。




2009年3月15日[日] そして、鳥の名前もわかりました!

2002ⓒhiroki taniguchi
2002ⓒhiroki taniguchi


先日、弟子から

「恐らく、ムクドリですよ〜」 と電話があった。

やっぱり!

この時期、繁殖後に群れをなすそうな。



2009年3月14日[土] 花の名前がわかりました!


3月7日のdiaryにUPした花は、ムラサキサギゴケと判明。
友人が教えてくれました。
ネットで調べたら確かにそうだった。
トキワハゼに似ているけれど、ムラサキサギゴケの方が花がやや大きいんだ。
世界は深いね。



2009ⓒhiroki taniguchi



2009年3月12日[木] 有名人!?

第4回日本グラフィック展大賞作品<br>2点の内の1点
第4回日本グラフィック展大賞作品
2点の内の1点


中野キャンパスリニューアルに際し、デザイン学科の入る建物の基本設計の部分に関わる最初の打ち合わせを建築事務所の方たちと行った。
名刺交換をしたときに最後の三人目の方が、「日本グラフィック展*で、大賞を獲られたときから存じ上げています。」とおっしゃるのでびっくりした。

先日も仕事先の方が、前述した日本グラフィック展*のことと、その当時、イラストレーションシーンで「芸大旋風*」と騒がれた仲間たち七人で開催した「七福人展*」のことを話題にされ驚いたばかリだったので、俺様も一躍有名人かぁ〜と錯覚しそうになったというのは冗談だが、そういうこともあったよなぁ…と自分がこれまで生きてきた時間の長さと、自分では不甲斐なさを感じる人生の中にもしっかりと積み上げている部分もあり、ちっぽけながらも自分の歴史があるんだということに気づかされ、感じ入った。

まだまだ、これから!なんて若ぶるのも罪な年齢となってしまったか…。ふ〜む。





*日本グラフィック展……現在、アタマトテインターナショナルの代表、榎本了壱氏がプロデュースした写真とイラストレーションの公募展で、1980年〜1999年の20年に渡り開催された。この公募展からは多くのクリエイターが輩出された。中でも有名人は第3回に大賞に輝いた日比野克彦だ。彼は藝大のひとつ下の後輩だ。僕は彼の受賞の一年後、高島屋に務めている時に第4回の大賞をいただいた。26歳だった。

*芸大旋風…………………1980年初頭、日本グラフィック展と少し遅れて始まった日本イラストレーション展(通称:JACA)の二大公募展のグランプリを東京藝術大学の卒業生と現役生が幾度にも渡りかっさらい、それに注目した玄光社のイラストレーション誌がその現象を取材し、特集のタイトルを「芸大旋風」とした。そのインパクトあるネーミングがデザイン、アート業界で話題になった。

*七福人展…………………1985年、「芸大旋風」と謂わしめた東京藝術大学の先輩後輩たち七福人(伊勢克也、タナカノリユキ、谷口広樹、根之木正明、日比野克彦、ひびのこづえ、藤掛正邦)が集まって、新宿の伊勢丹美術館で展覧会を行った。僕は「寿老人」役だった。28歳の時だ。



2009年3月11日[水] 研修旅行から戻りました


昨日、今日と、デザイン学科の研修旅行で熱海へ行っていた。

観光客が激減しているとタクシーの運転手が嘆いていたが、この不景気で、近場の行楽地が見直されているとも聞く。まぁ、俄観光客に実情はわからない。

珍しく集合時間の一時間前に入って、温泉につかった後、気分すっきり会議に臨んだ。

我が東京工芸大学デザイン学科は、22年度から3コース(ビジュアルコミュニケーションコース、デジタルコミュニケーションコース、ヒューマンプロダクトコース)体制になるので、カリキュラム等の見直しと、おまけにキャンパスも新築するので何かと検討課題が多く長い会議となった。
我がビジュアルコミュニケーションコース(多摩美でいうグラフィックデザイン学科、武蔵美でいう視覚伝達デザイン学科のことですな)は、かつてない気運と機運に盛り上がっている。これまで以上に濃いデザイン教育の場とするべく、教授陣は日夜前向きに突き進んでいる。

…とまぁ、そこまで個人のdiaryで熱くなってもなぁとは思うが、これもまた谷口広樹のフィールドのひとつであり、顔のひとつなのだ。先日も書いたが、すべてに前向き!だと(笑)。とは言うものの、学科主任は回避したものの、来年度からはコース主任を命ぜられて、トホホ。さらに重責が…。

さて、個人の私はというと、午後みなさんと分かれて、チンタラ熱海周辺をぶらついていた。

あやっ!? 道すがら、突然タン塩やホルモン、ミノ刺が食したくなってきた。

人の思考なんて理不尽なものだ。

…でもひとりで焼き肉ってのも何なんで、また今度にするか?
…そうだ、水戸の個展のとき、鮟鱇鍋なんてのもいいね!?
…サザエのつぼ焼も食べたいぞ!
…とかなんとかぶつくさと妄想しながら熱海をうろついていたら、
今回も、気になっている池田満寿夫のアトリエを見逃した。ちぇ!

仕事は山積みで、入稿をイライラして待っている人がいるというのに暇な時間を演出してみる。この後、辛くなるのはわかっているのに…束の間、旅先で自分を慈しんでみた。

来週はまた、4年生の卒業旅行で箱根から西伊豆を旅し一泊する。4年生は可愛いし、仕事が後ろ髪を引くしで、ワクワクとヤレヤレが同居する。その前にいくつか仕事を片づけなきゃな。




2008年3月9日[月] ガチ、忙しい(笑)


いやぁ、普段嘆くことしないけど、マジ、多忙!
大学の仕事がちょっとヤバイね。
まぁ、でもね、ここを乗り切らないとね…。
とにかくすべてに前向きだよ。
あっ、一個だけ後ろ向きのものあったな…。
あっ、一個じゃない、
あれもだ、これもだ、それもだ…
な〜んて調子で決して善人じゃないんだけど、
善人に見えるらしい。

いい人過ぎますよ!…とよく事務の人にからかわれる。
先生はいい人だから、断れないんでしょ!
引き受けるんならちゃんとお金もらいなさい!
…なんて、ちょっと話が飛躍し過ぎだと思うんだけど、
そんなことも言われたりする。
結構いじられキャラですな。

忙しさの内容によるけれど、仕事は忙しい方がいいね。
生き甲斐っての感じるよ。生きてるって感じ!
いいねっ、いいねっ!

…って、ほらほら、さぼってないで仕事に戻りましょ。
とっくに締切り過ぎてるし…。ヤバッ!

なんのことはない、結局のところ、
ワーカホリックなだけなんだろね。


2009ⓒmami toyoda こんなやつらに癒された〜い♡私をどこかへ連れてってェ〜(>_<)




2009年3月8日[日] 数の恐怖…?


家の近所で年に数回鳥の大群に出くわした。ヒッチコックの映画「鳥」ほどの恐怖はこないが何か胸騒ぎがしてしまう。イヤなことが起こらなければと単純に思ってしまう。

過日も駅へ向う裏道の切り通しの崖の上の樹の枝という枝に鳥の群がたむろしていた。
その前は、電線に150羽以上がずらーっと並んでいていて怖かったのを覚えている。

なぜ、「うわぁ、鳥がたくさんいるよ〜!すごいねぇ〜!!」という感動系にならず、「なんなんだ!?ちょっとヤバくない!」というマイナスな気持ちになるのは何かどこかで刷り込まれているのだろうか。

そういえば、中学生の頃、家の近所の多摩川のやや上流に行ったところに葦の茂みを掻き分けて川縁に近づこうとしたとき、パッと開けた眼前におびただしい水鳥が現れたときは、感動ものだったな。

同じ数でも、状況によって違うのか、そうか、環境か?
水鳥の場合は、自然の中で遭遇し、家の近所での遭遇は、都市の中でということになる。
都市の中で自然に過剰に触れると人は恐怖を感じてしまうのだろうか。

都市という、囲われた不思議。


悲しいかな、鳴き声を聞いても<br>何の鳥だかわからない…。
悲しいかな、鳴き声を聞いても
何の鳥だかわからない…。


2009年3月7日[土] 菫

実はこの花が菫かどうか<br>ちょいと自信がない…(汗)
実はこの花が菫かどうか
ちょいと自信がない…(汗)


珍しくムシャクシャする。

こういうときに限って人を傷つけるへまをするから
気持ちを落ち着けなくては…。

こんなとき考えるようにしているのは菫の健気さだ。

なんてことのない花だと思っていた。
たわいもない野の花だと思っていた。
それがあるとき外連味のない美しさを備えていることに気づき驚いた。
しかも可憐だけれど脆弱ではない強さを持っている。
また、種類が多く、そのどれもが綺麗で素敵だ。

春になると気にして道端を凝視しながら歩く。
何気ない、とんでもない場所にひっそりと息づいていたりするから。

近所の空き地に咲く菫を発見して、毎年楽しみにしていたら
あるとき、その空き地がコンクリートで固められ駐車場になってしまった。
あぁ、あの菫にはもう逢えないんだ…と落胆していたら、
次の年、コンクリートの小さな隙間を縫ってあいつが顔を出していた。
いやぁ、あのときはうれしかった。

それからだ、菫を気にするようになったのは。




2009年3月4日[水] 教え「ゼニ ノ コト カンガエ タラ アカン デ」


ゼニノナルキ ノ ハナ ガ サキ
アキヤ ノ ニワ ニ カケ アガル

ハナ ノ チュウシン ニ ナニカ イテ
ヒタスラ ミツ ヲ スイ ツヅケ テル


アア ソウカ
オマエ ニ ナレバ イインダ ナ


メ ノ マエ ガ 
キュウ ニ ヒラケ テ
アカル ク ナッタ

ナンデモ カンデモ
デキ ルンダ





2009年3月3日[火] sieと遭遇

「落下&キャッチ」ⓒsie
「落下&キャッチ」ⓒsie


sieとその作品に接すると、生きることの意味を思い出す。
僕にとって絵を描くことは生きることだったね…と再確認する。

あの世の記憶を消し去ることなく、少しこわばりながらこの世に出現してしまったような人は、生まれたその瞬間から生きることの意味を体現していく。

それが、キャンバスに綴られていく。
絵具は、気づかれないように言霊と化し、人々の脳髄に染み込んでいき、生きるという意味の捉え方を矯正していく。それは、洗脳とは180°真逆の方法で人々を救済する。


sie 個展「野辺」3月7日[土]まで  → GALLERY TRINITY



2009ⓒhiroki taniguchi<br>
2009ⓒhiroki taniguchi
2009ⓒhiroki taniguchi<br><br>
2009ⓒhiroki taniguchi


ギャラリーの外は、
相変わらずの霙混じりの空模様だ。
相当冷え込んでいる。
ふと、見上げると
十字架が眼に飛び込んできた。











急に、なんだかマッチを擦りたくなった…。



2009年3月2日[月] Gallery 360°へ


伊藤桂司の個展に行く。

知人の報告によると、オープニングは大変だったらしい。
後から後から人がやってきて、大勢の人で賑わうのはいいが、会場から出たくても出られなかったり、中には気分の悪くなった人もいたとか。途中からは、一人出ると一人入場させるという感じで、もう絵なんか全然観れなかったらしい。いやはや大ブレークですな。

今日は静かぁ〜で、ゆっくり観れました。


久し振りに、ギャラリーのオーナーと話す。
アートシーンの話を身につまされる思いで伺った。この話を聞くために今日はここへ来させられたなと感じた。

神の計らいだ。

神は必要な答えを遍在させておく。だから、常にそれが受け入れられるように心身を鍛えておかねばならない。作家であるならば、特に肉体は重要であり、ぼくはまだまだ走り続けなければならないと感じさせられた。



伊藤桂司は、27日まで恵比寿のギャラリーArtJamContemporaryでも個展を開催中だ。

 → ArtJamContemporary




2009年3月1日[日] 水戸へ

茨城県近代美術館の庭の白梅
茨城県近代美術館の庭の白梅


ようやく水戸入りすることができた。

このシーズン水戸は梅まつりだから、混んでいるかなと心配したが、高速を飛ばし、車で1時間半強で着いただろうか。
Galerie Cielは、閑静な場所にあって、ギャラリーの中から外を眺めると、軽井沢のしゃれたギャラリーにいるんじゃないかと思ってしまう。建物も内装も素敵でとてもくつろぐ空間だ。

自分の個展の打ち合わせにやってきたのだが、それよりも友人のアーティスト西成田洋子さんの個展が今日が最終日で、慌ててやってきたということを暴露しておこう。

僕の個展については、とりあえず topics を見てください。詳細は後日 exhibition でお知らせします。

 → topics



西成田洋子展 記憶の領域・A-SHURA


さて、西成田洋子さんの個展はというと…。

なんと!これが、またまた抜けましたねぇ〜。いいじゃないですか。
語弊を招くけど一言で言うと、「カワイイ〜!」だ。

新しい作品を観てまず感じたことは、洋子さんがついに造物主となったかということだ。
今回の個展に触れて、これまでの作品たちは、ニンゲン西成田洋子がこれでもかと闘うことで形になっていったものなのだと感じた。しかし、新作たちはニンゲンを幾ばくか超えた存在となった西成田洋子が造物主が命に形を与えるが如く一筋の光の道筋の上で造形をしているようでブレがなく、観る側を気持ちよく解放させてしまうダイナミックさを持っていると考えた。

これからがますます楽しみだ。


エントランス付近から観た個展会場
エントランス付近から観た個展会場
記憶の領域 2008<br>ⓒyoko nishinarita
記憶の領域 2008
ⓒyoko nishinarita
記憶の領域 2008<br>ⓒyoko nishinarita
記憶の領域 2008
ⓒyoko nishinarita


茨城県近代美術館へ寄って、岐路へ着くことに…。


安田靫彦展を開催中ということで、帰りがてら茨城県近代美術館へ寄ってみたが、まぁ思った通りの内容で、再発見もなく特に得るもの無し。

水戸芸術館の方がよかったか?まぁ、でもあちらは告知を見たが今時な感じだったな。アーティストさまは考えているのよ的な匂いがちょいとしていそうで厭だったが、実際に観てもいないものの批判はよそう。

企画展には満足できなかったが、来てよかった!
そう、また速水御舟のスケッチに出会えたのだ!

昭和9年に描かれた桐の実のスケッチだ。速水御舟は単純に桐の実を速水御舟として描写しているだけなんだろうが、なんとも興味深いものだ!日本画の手本というよりは、むしろTerry Wintersに通ずるような雰囲気さえあって現代的な匂いもする刺激的なものだ。この作品と対峙するのは二度目だが、前回も今回も「ホシイ!」という衝動に駆られた。なぜだか居ても立ってもいられなくなってしまう。いいものはどういう訳か手許に置いておきたくなるものだ。

ところで、何度も何度も絵の前に行っちゃあ、じ〜っと観ていたものだから、近くにいた守衛が怪しんでたな。