お猿の戯言 homosapiensaru's babble


2009年2月28日[土] 一般入学試験(後期)


今日は、今年度最後の入試だ。
不景気も兼ねて、風は穏やかじゃない。
ひとつひとつていねいにやっていくことだと考える。
手を抜いていることがありやしないかと周囲や手許、足許を見渡す。
冷や汗が出ないようお天道様を煽ぐ。


東京イラストレーターズ・ソサエティ総会

昨晩は、東京イラストレーターズ・ソサエティの総会があった。
大学の用事があり、ほぼ懇親会からの参加となってしまった。

数年に渡り、この会の事務局長職に就いていたが、訳あって辞任することにした。
21年間、会長職に携わっていらした灘本唯人先生のご退任の儀と併せて、もったいなくも無能な私のためにも会が労いの場を設けてくださり、ありがたくもお花を頂戴した。
これからもなんやかんやと前向きに口出しをしていく所存ですから懲りずにどうぞよろしくお願いいたします。

みなさん、お心遣いを賜りどうもありがとうございました。

一次会が終了し、二次会に繰り出した。
久し振りに灘本先生の歌声を聴き、和田誠さんのカラオケ姿を初めて観、南伸坊さんの小林旭にはしゃぎ、下谷二助さんの軍歌に姿勢を正した…。
同世代(?)の佐々木悟郎さんや北谷しげひささんとは絵を描く姿勢についてを熱く語り、リクルートの大迫さんには、谷口の今後に関して、叱咤激励を受け感涙した。

大いに盛り上がり楽しいひと時を過ごした夜であった。



2009年2月27日[金] 七福神


またしても、「七福神」の情報です。
送られてきたメールを紹介します。

「国道246号線の梶ヶ谷交差点付近の店舗のシャッターに
スプレーペンキで描かれた謎の「七福神」を発見しました。
谷口さんの推測どうり 暴走族のグループのようですね。
246号線の電柱にもそれらしき絵がみつかりました。」

本当に暴走族なんですかねぇ?


修了生の個展へ


この3月、大学院を修了する馬込の個展に行く。
彼は、リクルート主催の「ひと坪展」に入賞したり、いろんな場所で入選・入賞を果たしている。師匠としては、ぼちぼちどこかで、グランプリを狙え!と願う。

今回の個展の作品は、修了制作よりよかったと思う。
馬込の絵は、観る側が本人の意図とは別のものを感じ取っているかもしれないが、作者の説明を聞かずにただ眺めているだけでも、何か馬込特有のシニカルな思想が独特の温度とユーモラスなオブラートとに包まれて伝わってくるから、変にむずかしいことを確実に伝えようとしなくてもいいんじゃないのかなぁ…と考える。単純に絵としての面白さがあるのだから。


ⓒhiroaki magome
ⓒhiroaki magome


2009年2月25日[水] 予定変更…。

今日は水戸のギャラリーに顔を出して4月の個展の打ち合わせをと考えていたら、仕事が押してしまい断念!日曜日に改めてお伺いすることにした。

今月は、毎度バレンタイン関係の話で申し訳ないが、いただいたチョコレートの中にSadaharu Aokiのものがあって、これはビジュアル的にかなり好みだ。
ここのマカロンやケーキなんかも、もうほんとに色が綺麗です。
なんでこうなるのォ〜という色遣いにうっとりだ。
ただ、どれも甘過ぎて食べたくて買うということにはならないんだけど、色やデザインセンスに惚れて購入してしまうという類いのものだ。レコードやCDのジャケ買いみたいな感じだろうか。

これもまたツボにはまりました!<br>簡単にイチコロ♡にされてるな(笑)
これもまたツボにはまりました!
簡単にイチコロ♡にされてるな(笑)


有楽町にある出光美術館に行く途中に、このSadaharu Aokiのお店があって、何の予備知識がなく通りかかったとき、「何コレぇ〜(IKKOさんみたいな声出してたな、そんとき)」ってふらふらとお店に吸い込まれたのを覚えている。
店内に置いてあるどれもがこれ食べ物?というくらいの色彩で、これまでの常識を超えた感じがたまらなかった。こんな絵が描きたいんだよ〜って思わせる不思議な魔力がお店全体に満ち満ちていた。

先日の西光亭のクッキーのパッケージといい、このSadaharu Aokiのパッケージデザインといい、グラフィックデザイナーにとってこういった類いのデザインって純粋なグラフィックっていう感じがしていい。品川駅のDEAN & DELUCAなんかよく眼の保養に行きますが、パッケージを見ているだけでもう楽しくって仕方がない。
バレンタインデーの季節になるとパッケージデザインがとても目立って、チョコをもらえるか、もらえないかということ以前にデザイン的興味で今年はどんなものが売られているのか気になったりする。



2009年2月23日[月] 侘助へ


イラストレーターの遠藤拓人の個展のオープニングがあり顔を出す。
時代小説を意識した新しい展開が心地よかった。
よかったのは、新しいことに挑戦したから云々ということではなく、画力の向上ということにあるのだと考える。

最高だったのは、遠藤の和服姿!
ほんっとによく似合っていた。羨ましくなるくらい、悔しいけど素敵だったなぁ。うっとり…。
何かこう、文化的レベルが上がるっていうか、人としての次元が高まるというか、そんなオーラを放っていました。
普段から着物で通せばいいのにねぇ。

師匠としては苦言もしておこう。
絵についていた短歌(?)は、場面の説明とともに何かそれを超えるものになっていて欲しかった。それと、額だなぁ。額装のセンスを磨け!

次もまた期待してるよ!
遠藤への僕のプランも今度しみじみ呑みながら伝えよう。

●遠藤拓人 個展「侘助」2月23日[月]〜28日[土]ギャラリーハウスMAYAにて
※詳細は、下記へ

 →  http://www.artakuto.com/




2009年2月22日[日] 卒業制作展


今日まで、東京工芸大学 芸術学部は、六本木ヒルズで卒業制作展を三日間に渡って開催していた。
写真学科・映像学科・デザイン学科(ヴィジュアルコミュニケーションコース&ヒューマンプロダクトコース)・メディアアート表現学科・アニメーション学科(アニメーションコース&ゲームコース)の5学科4コースが一堂に同空間に展示されるのは他の大学にはない特色になっている。

我がヴィジュアルコミュニケーションコースの学生たちは、片づけが終わると新宿に繰り出して打ち上げと相成った。予定の人数を遥かに超えて店の中はいっぱいだった。

最後に締めをしろと幹事に指名をされ、卒制委員の学生たちとM先生を労い、学生課長に水を向けると三本締めで締めくくってくださり、大いに盛り上がった!
卒制委員たちは感極まり、他の学生たちも委員たちへの感謝と、無事終了した達成感と喜びとで会場は大興奮の坩堝と化した。

ほんとうにうちは、学生と先生の距離が近くていい!
4年生よ!次は卒業旅行で会おう!


ⓒmegumi watanabe
ⓒmegumi watanabe
ⓒmiho yoshioka
ⓒmiho yoshioka
ⓒsachie hashimoto
ⓒsachie hashimoto


2009年2月21日[土] 発見!


卒展会場へ向うため、
大江戸線の六本木駅で降り、
階段を上がりきって
左へ廻り込めば日比谷線の改札という場所に
配電盤のようなボックスがあり、
その扉に下のような記号だか文字だかが
銀色のマーカーでペイント(落書き)されていた。

これは、もしやっ!? 
例の謎の七福神とのつながりがぁ〜!!

…ともう一度写真を見てみたが、ん〜ビミョーだな。
でも、真ん中の「丶」が怪しくないかい?
ん〜ど〜だろ〜??



2009年2月20日[金] 再び贈り物


先日ある仕事で打ち合わせをしたら、「遅ればせながらバレンタインデーです」と写真のようなお菓子をいただいた。
このパッケージを見たとき絶対谷口が面白がると思ったそうで、この打ち合わせのタイミングを見計らって買ってきてくださったそうだ。

案の定、なんともこの愛らしい絵にはまってしまいました。あったかくて素朴でたまりません。
ここのお菓子は、どの商品にも可愛らしいりすの絵がついているそうで、何十種類という絵が用意されているそうです。代々木上原にある西光亭というお店のものだそうです。そうそうホームページがあるって言ってましたね。


 → 西光亭


ほんとうです!ホームページを見たらほんとうにたくさんの味わい深いりすたちが迎えてくれました。
絵にはchisaとサインが入っていますが、HPをざっと見渡したところどなたが描いていらっしゃるのかはわかりませんでした。絵は、季節ごとに変えて行くのだそうです。

ぼくのいただいたものは「ごまのクッキー」と「チョコくるみクッキー」でそれぞれの絵にはタイトルがつけられています。「ごまのクッキー」の方が、「ごますり」で、「チョコくるみクッキー」の方が、「マフラー」です。

いいですね、こういう贈り物のセンスを持ったNさん!
みなさんにこのNさんの容姿をお見せできないのが残念!
素敵な方なんです。その贈り物と本人の容姿のギャップがまた素敵なんです。

またもや、イチコロですね♡

西光亭の「ごますり」と「マフラー」


2009年2月18日[火] 贈り物


バレンタインの日に変なテキストをアップしたら、何人かの方から心配された。
あんな日にあれだし、そういうこと?…って思われてたらしい。
まぁそうだよな。


バレンタインデーが土曜日だったから、今年は全国的に義理チョコが少なかったのだそうだ。それでも律儀に僕のところへも義理チョコがいくつか届いた。

もし本命をもらえるとするなら、市販されているものの中から、気の利いたセンスのいいチョコを見つけて、渡されるという方がうれしい。
手作りチョコというやつはどうも信用ならなくて困ってしまう。なんかその女性が哀れになっちゃってダメなのだ。

その人が普段過ごしている生活の中で、いろんな情報をインプットし、アウトプットするときの気の使い方というのか、服装にしても、髪型にしても、化粧ひとつにも、その人のセンスって滲むじゃないですか、チョコを選ぶというそこにもそういったセンスを滲ませて欲しいんですね。


「その滲ませ方が、あたしにとっては手作りチョコなんじゃないのよ!ナニ文句アルワケ!?」


…という手作りチョコ派の女性からの声が聞こえてきそうですが、まぁこればっかりは、好みですけどね。手作りにメロメロの男性は多いでしょうから、僕みたいな男を相手にしなくていいんですよ。面倒くさいヤツですから(笑)。

でもね、手作りって、なんかフォームがひとつのような気がするんですねぇ。手作りだからこそいろんなフォームのチョコが出てきそうだけど、結局「手作り」というきな臭い正義みたいなものを本当に正しいのかどうかも検討せずに振り翳しているような範疇に帰結してしまう、そんな気がしてしょうがないのです。相手に対して、純粋な愛の気持ちを伝えることより先に、「手作り」というベタッとした手垢に塗れた常套手段的なやり口だけが見えてしまって、押し売りな感じがして困ってしまう。僕にとってはその方法論は重いし、逆に言えば、やり易い手口で軽いと思えてしまう。気持ちを伝える前に、手段が露呈してしまっている感じがイヤなのです。

正しいと思われている悪しき慣習を駆逐しよう!
…って、そんな大それた話じゃないんだけど、ところで一体僕は何をこんなにいきり立っているんでしょうねぇ?

自分の意見はかなり都市型の価値観ではあるなとは思うけれど、手作りチョコ派の女性は、こちらをじっと熱く見つめている感じがする。僕の云うタイプは、もちろんこちらを見つめてはいるのだが、逆に見つめさせてしまうというのだろうか。好奇心を掻き立てさせる、そんな人であるような気がする。ダイレクトでない、ワンクッションを感じさせる、社会性のある大人な感じが素敵じゃないですか。


…と、まぁ、いいか。

はてさて、何を熱くなってるのかなぁ〜?…という気がしてきたのでここらでおしまい!


アップした写真に映っているキーボードの上の花束のように見えるものは、実はボールペンです。ラッピングペーパーの中の部分、茎に相当する柄の先がボールペンになっています。
先日、仕事先のSさんから贈られたものです。

「なんだか谷口さんっぽいから思わず〜」

…って、こういう感じが素敵です。

イチコロです♡




2009年2月17日[火] 七福神!?


ほんとうだ!「七福神」って書いてある!

そういうことには小さい頃から敏感なはずだったのにまったく気がつかなかった。

2月13日の日記を読んだと、知人からメールが入った。
そこには、「七福神」のこと調べました…とあって、なんのこっちゃ…と一笑に付そうと思い、もう一度アップした写真を見てみると、ほんとだ!

「七福神」の上の行の欧文のような文字に囚われていて、次の行が漢字だとは思いもしなかった。ドジョウが踊ったような字で確かに「七福神」とあった。

何かのグループ名なのだろうか?
このグラフィティの感じと沿道でよく見かけることから、僕は勝手に暴走族かなんかのマークなのかなぁ、それにしては興味深いなぁと考えていた。

ひとつ謎が解けた。が、まだまだ未消化だなぁ。う〜む。

それにしても、タニグチ! アタマ硬くなってるぞぉ〜!
思い込みも、老化の一種だとか…。うへ。




2009年2月16日[月] たいせつなもの



命の次にたいせつなもの…

僕で云うなら、手先から紡ぎ出される線や色やカタチだろうか?

その次にたいせつなもの。
三番目にだいじなものはなんだろう…。
じゃあ、四番目は?

そうやって、たいせつなものを順番に数えていったら
最後のたいせつなものにいったい僕は何を挙げるのだろう。
いくつのたいせつがぼくの中に埋まっているのだろう。

埋もれずに理解できているたいせつがいくつあるのか。

命が一番だなんて書いたけど
それも刷り込まれた価値観かもしれない。

ひとつだけわかっていることは
そのたいせつなものを失いそうになったり、失ったときに
初めてそのだいじさに気がつくということ。

そうならないように
気がついたらもう遅かったなんてことにならないように
たいせつをしっかり心に刻み込んでおこう。

でも、たいせつにし過ぎて、だいじそうに磨いていたら
いつの間にか傷つけてしまったり
誤って落してしまったり壊してしまったり
なんてこともあるのかもしれない。

意識の上で壊してしまったらそれは理解できるけれど
無意識に傷つけてしまったり、
それをもしも失ってしまったら
その次点で人の何かは変わってしまうのだろうか。

そんなとき、失ってしまったものや壊してしまったものの
記憶をたどり、取り戻したり、
元に戻したりすることができればいいと願う。
虫のいい話だろうか。

今の僕にとって一番たいせつなものはなんだろう?

命よりだいじなもの…。




2009年2月14日[土] 廃人と化す


春一番が吹いた。

先走った春一番のせいで、
僕の何かは持ってかれちまった。
何を運び去られてしまったのだろう。
それすらもわからない。

春一番のせいで急性花粉症を患ったかのように
眼は霞み、何ものも見えない。
意識は朦朧として、何も考えられない。
心は漠として人に非ず。
季節の捻れが僕を廃人に貶める。

イチジテキ ナ ショウジョウ デ アリマス ヨウニ

…と願う気持ちだけはかすかに残っているのがせめてもの救い。
パンドラの箱とはよく言ったものだ。人は常に希望だけは残している。

少し眠ろう。


ⓒhiroki taniguch

ⓒhiroki taniguchi


2009年2月13日[金] 気になるグラフィティに再会!

標識のウラに潜む中国の王様のお化け?<br>それとも、東洋系虫の王様のお化け?
標識のウラに潜む中国の王様のお化け?
それとも、東洋系虫の王様のお化け?


最初に見つけたのは何年前だろう?

車を運転しているときだったと思う。信号待ちのときにひょっと歩道側の標識だったか、何かのところにこいつがいた。
確か国道2号線の中延か戸越辺りだったろうか…。

先日も、近所を運転中に歩道側にこいつを久〜し振りに発見して興奮した。まだこいつは健在だったのだ。
そしてつい数日前、いつも通る駅までの歩道にある標識の裏面にいつからいたのかなんとちゃっかりこいつが貼りついている!
おお、こんなとこに!いやぁ、知らなかった!参りましたぁ〜!

う〜む、かわいい!

誰が描いているのだろう?オリジナルなのか?それとも何か元があるのか?

大体こいつは一体なんなんだろう?
最初は、さなぎのような虫系のキャラクターかなぁと思っていた。
何回か遭遇する内に、いろんなことに気づいていく。
あれっ?王冠っぽいものを冠っているぞ。じゃぁ虫の王様?まてまて、よく観ると中国人みたいな髭を生やしているし、王様って言っても西洋のじゃねぇぞ、東洋だよ。手と腹と足の関係がよくわかんないんだけど、足らしいところを見ると幽霊のような表現になってるし、なら、中国の王様のお化け?…なんて具合にいろいろ妄想を重ねちゃってはいるものの未だに答えはわからない。

誰か教えてくれるとうれしいなぁ…っていうか、描いた本人がこのサイト見てくれ…る訳ないよなぁ。でもまさか作者からメールきちゃったら面白いよねぇ。

キャラクターの下の文字も気になるんだなぁ。
こいつ、名前は何ていうんだろうねぇ。

うぅ、気になる、気になる、気になるぞ〜。




2009年2月12日[木] 次のステップへ

「米の仙人」ⓒhiroki taniguchi
「米の仙人」ⓒhiroki taniguchi


「works」を更新し始めたものの、無節操にアップしていってるものだから、じっと見てるとこれは要らないかぁというものも正直ある。追々直して行かなくちゃ。

マァデモ、タニグチヒロキトヤラヨ!オマエダケハアクセクセズニ、セチガライコノヨノナカ、ユッタリトシタ、ココロニシミルサクヒンヅクリニハゲメヨ!

んっ?誰の声!?



2009年2月11日[水] なんと!「works」を更新!


滞り過ぎていた「works」をやっとこさ更新。

まだまだUPするものはあり過ぎるが少しずつ増やしていこう。
キャプションが追いつかないけど、それでも「painting」と「graphic」のところにはだいぶ手が入ったぞ。
こちらもぼちぼち進めていかねば。

まぁ、昨日までよりは相当華やかになったと少々満足。

さて、仕事しなくちゃ…。



2009年2月10日[火] 絶品緑茶

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


K教授の入れてくれる緑茶は最高である!
こんなにおいしい緑茶にはこれまで出会ったことがない!
湯加減といい、濃さといい、絶品だ!

使用している茶葉の所為だと思いどこのものかと問い
同じものを買って入れてみたがこんなんじゃない。
決してまずくはないが、K教授の作り出す味にはほど遠くて驚いた。

これは参った!材料ではないのだということを思い知らされた。

K教授は不思議な味わいのある人物である。
この魅力があの味を惹き出すのだなと考える。

一度、研修旅行先であったか、鍋をつついたあとで雑炊をこしらえているとき、
火を落とし掻き卵を入れ蓋をして蒸らしている途中、
僕がひょっと蓋を空けようとしたら、
もの凄い形相で叱りつけられたことがある。

この何とも言えぬこだわりである。

この先生もあと3年で退官となってしまう。
寂しい限りだ。
それまでに先生に緑茶の入れ方と味わい深さの身につけ方をご教授願いたいと思うのだが、まずは自分が先生の眼に適うかどうかが先決である。…ふむ。




2009年2月8日[日] 夕方仕事場で


冬のある時刻
西陽が強烈にさし込むことがある

樹々の間を光はするりとすりぬけ
木もれ陽となっていとも簡単に入ってくる

オッスともやぁとも言わずに

淡いオレンジがかった黄色の光が
壁面にふわふわと乱舞して幻想的だ
僕はこの時間が好きで少し恍惚となる

コントラストの強いその来客は
気がつくとそこにいて
一時間もいぬ間に出て行ってしまう

僕の部屋で盛んにダンスをしている光の
そのやって来る方角に眼を凝らすと
光はひとりではなく
何万という隊列をなし
おびただしい数の光たちが
この場所をめざしてくるのがわかる

太陽が沈んでしまうと
彼らはまたあいさつなしで
もといた場所へ帰って行ってしまう

こんどはいつ遊びにきてくれるだろうか


ⓒhiroki taniguchi

ⓒhiroki taniguchi


2009年2月7日[土] 古代文字ART展 in エコプラザ


古代文字アーティスト天遊さんの書の展覧会に行く。
浜松町にある港区立エコプラザで今日から15日[日]まで開催している。
いつもご案内をいただきながらやっと拝見することができた。

天遊さんと最初に出会った場所は、小さなFM放送局のスタジオだった。
ギンザ・グラフィック・ギャラリーで伊藤桂司、ヒロ杉山との三人展を開催したとき、銀座だったか中央区だったかのエリアのFM放送局からラジオ出演の依頼があって、白羽の矢を受けた僕が出演することとなった。そのお相手のアナウンサーが天遊さんだった。

まったく畑違いの人だったのだが、その後、書をやってますと、展覧会の案内が届くようになって、書には人一倍興味があるし、しかも古代文字だ、こりゃあ行かなきゃと思いつつ、なかなか出向けなくて、で、今日、やっとということになったのだ。

3,500年以上も前、神と王の占いを記録するために生まれたといわれる「古代文字」を操るのだから何か不思議な気配と云うか神妙な面持ちというか、画面には精神的なオーラがみなぎっていた。良寛の日記のときにも書いたように、書かれた文字の意味ではなく、画面全体に気のようなものが覆われていて宇宙そのものが凝縮されているようでその空間は気迫に満ち満ちていた。

ご本人が会場にいらっしゃって、やはり書かれた文字の意味に囚われて欲しくないと仰っていた。観る人には、出現した空間そのものを体験していただきたいそうだ。

作品はどれも彼女自信を超えて存在していた。特に大きな作品に接すると、彼女が書いたというよりは、何かによって書かされたという感覚に襲われてしまった。

2月12日[木]18:00〜19:30には、トンパ文字で有名なアートディレクター浅葉克己氏とのトークショー「古代文字と現代デザイン」がある。

 → eco-plaza.net

ⓒ天遊


ポスター発見!


天遊さんの会場を後にして移動のため大江戸線に乗ると…、
なんと!あるじゃないですか!

東京工芸大学の卒業制作展のポスターです。
正確には、窓上広告。

思わず携帯電話のカメラで撮っちゃいましたよ。

今年のポスターのビジュアルは、アニメーションの修士2年生の一瀬皓コさんです。
この卒展のビジュアルはコンペ形式になっていて、毎年学生から募集しています。




第12回リキテックス・ビエンナーレ へ


表参道で電車を降り、スパイラルへ。

第12回リキテックス・ビエンナーレ展を観る。

なんだか、旧態依然とした感じだ。
それでも6点ほどの作品に感じるものがあった。
今回は、知人のsieが奨励賞と寺門孝之賞をいただいたと連絡があり、覗きにきた。
絵を描くには暗くないと駄目なのかというくらい暗い作品、重い作品が占めていた。
そんな中にsieのような作品があると、僕にとってはとても救われるなぁ。

スパイラルにて、11日[水]まで。



2009年2月6日[金] 久し振り

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


今日はほんとに久し振りに自分の仕事場で一日過ごす。
だからといってペインティングの作業が進んだ訳ではないのだが…。

絵にちゃんと対峙するには、まずは雑用(ほんとは雑用じゃないんだけどね)を片づけてさ、晴れ晴れとした気分じゃなきゃね!…なんて考えているからちっとも進まない。やれやれ、谷口君ダメだね…(´_`)

でもいいね。引きこもるってさ。
おっかさんのお腹の中にいたときみたいにな〜んも考えないで
おっかさんからの栄養だけをチューチュー吸って(へその緒から吸うのか?)、
眼ぇつぶってぇ、ふがふが眠ってぇ、汚いもの垂れ流しでぇ、
いいねぇ。

そんな感覚で絵描いてみようかな?
いいね、いいね。



しかし考えてみりゃ赤ん坊ってのは、そんな怠惰で素敵な環境にいたのに世の中出された日にゃ泣くわな…



2009年2月5日[木] いるのにいない、いないけどいる

"KNOCK KNOCK" ⓒRoy Lichtenstein


研究室を訪ねてきた学生が、部屋の扉をノックする。
反応が無い。

「いないや」

なんとなく、遊びに来る者。
思い詰めて相談に来る者。
勇気を振り絞ってきたやつもいる。
決められた提出物を締め切り日にしたり顔で持って来る者や
うれしいことにわざわざ顔を観に来るおめでたい者もいる。

もう一度、ノックしてみる。
「やっぱり いないや ちぇっ」
最後に「ちぇっ」がついた気持ちで帰って行く。

会議が終わり研究室に戻ると、そこにいた学生が声を掛けてくる。
「誰々さんが訪ねてきましたよ」…その声はどういう訳だかなんだか怒っていて、自分が被害を被った訳ではないのになぜか僕を責める口調になる。
「今日持ってくるように言われてたのにひどい!…とかなんとか言ってましたよぉ」とそのときの状況を説明する。「先生ってひどい人ですよねぇ」というセンテンスをカッコの中に入れながら、どうしたって学生の味方についているのがわかる。

毎日のように大学にいるのだが、いないのだ。
研究室にいなければ、学生にとっては僕は大学にいないも同然なのだ。

大人になるとカイギという、友達には絶対なりたくない面白くないやつとつきあわなくちゃならなくなる。こんなやつとつきあいたくないけど、こいつがいなければいないで、ものごとが進まなくもなってしまうので、結局つきあわざるを得ないというとっても厄介な相手なのだ。

…と、いくらここで正当な理由を学生相手に言ったところですべてが大人のいい訳になってしまうのはよくわかっている。
若いやつらってのは容赦ないってことも充分理解している。

そうだ!学生よ!こうしよう!
僕が大学のどこにいるかがわかるようなグラフィックを研究室の扉に表示しよう。
最近は特に学内の仕事が増えているので、それがいい!

わかってるつもり、わかってもらえているつもりが溝をどんどん深くするんだよな。
顔を見て話す。これが一番いいんだ。
せっかくダイレクトなコミュニケーションを持とうと訪ねてくれたのにごめんよ…。

学生たちよ!懲りずにこれからもどんどん訪ねてくださいな…。



2009年2月4日[水] 別れ

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


打ち合わせが終わり、相手が帰ったあと待ち合わせた喫茶店にしばらく残って手帳に予定を書き込んだり、ラフを練ったりして過ごしていた。

思いつく作業が終わるともう一杯珈琲を注文し、何となく辺りを見回してみる。

向かいのテーブルには自分と同じくらいの年格好の男が20歳くらい年下の女性とひそひそと話をしている。どう見てもイケメンではない男が僕の方を見る位置に座っている。
他に客はいなかった。さっきまで結構な客がいたのにいつのまにか自分とそのカップルだけだ。
その男は時折ちらちらっと僕を見ると、なんでお前がそこにいるんだよという明らかに僕を邪魔者扱いするような視線を向ける。

追加した珈琲が来るまでやることがなくなって、何となく二人を見るとはなしに見てしまう。

ちらちらと聞こえてくる二人の会話から別れ話をしているのだと理解した。
女が泣いているのかどうかは背を向けられているのでわからないが、どう見てもけんか別れには見えない。何かのっぴきならない事情があるのだろう。
男はときどきくしゃっとした顔はするものの終始相手を暖かく、時折は熱く見つめているようだった。女の声は背中越しでよく聞き取れないが、一度だけはっきりとした瞬間があった。

「逆に深く心が通えそうだねっ!」

文末にハートマークでもつきそうなくらい、女の声は明るかった。
これで永遠に終わってしまうという悲痛さの微塵も無い新しい始まりといった正のパースペクティヴを見通したかのような声だった。

一体どんな女なんだ?戻ってきたときに顔でも見てやろう…と、やおら僕はトイレに立ち上がった。

用を足して戻ると、二人の姿は跡形も無く消えていた。

いろんな人間模様があるもんだなと、冷たくなった珈琲を一息に飲み干し喫茶店を後にした。
やれやれ変な興味を持っちまって余計な時間をつぶしちまったなぁ。絵の題材になんてなりゃしないのになぁ。
交差点で信号待ちをしながら、この後のスケジュールを頭で確認していると

おや?さっきのカップルだ…。

カラオケに入って行くぞ!今度は別れの名曲で酔いしれるのかよ?
なんだよ!やけに楽しそうじゃねぇか!

…新宿の夕暮れ時、別れはただ終わることを意味しないということをあのどう見てもイケメンではない男から僕は教えられた。



2009年2月3日[火] 節分


イラストレーターの山本恵未さんがHBギャラリーで個展をされているので訪ねた。

今回は地元の伊豆をテーマに描かれたそうだ。素朴さが厭味でなく可愛い。
人が描かれていないタイプの絵の方に造形的なものを感じて僕は好みでした。

お茶をごちそうになり、あれこれと一通りの話が終わると、「そうそう」と思い出したように立ち上がって、
彼女はカバンから可愛らしいパッケージの豆菓子を取り出すと、「どうぞ」と三種類の包みをテーブルの上に置いた。

そうか、今日は節分でしたね。

京都のものだというそのお菓子は山本さんの絵のように朴訥で屈託がなく思わず笑みのこぼれるものでした。

パッケージの側面にはこんな句が…「福は内 笑いのもるる 家の外」。

どうもありがとう。




2月1日にアップされた絵について

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


この絵は昨年の11月の個展のタイトルをあれこれと考えあぐねているときに、電話をしていた相手にそれとなく探ったら、「キウイは〜?」とあっけらかんと言われ、「ほぇ〜」ってな感じで傍にあった紙片にボールペンでおもむろに書き留めたものです。

全体像は右の通りです。

こういう無防備なものは面白がる人、いぶかる人、怪訝そうにしながらもウケてる人などなど、反応が面白いですね。結局その人の本質が見え隠れして興味深いです。



2009年2月2日[月] 指の傷跡を見て…

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


傷がいつの間にか治っている。

暮れに部屋を片づけていたとき荷物を持って廊下に出ようとして思い切り壁の角に手をぶつけた。
どんなに些細でも身体が損傷したときのあのひやっとした感覚が背中を走って、後で手を見ると人差し指の付け根のところが意外にもざっくりとえぐれ出血している。

やれやれやっちまった。

しばらくするとかさぶたが出来て、自然にそれがはがれて行く。
自分の意志ではないのに身体は傷を治して行く。
仕組まれたシステム。
自分は自分一人の意志で生きていない。
久し振りに、何ものかに生かされていることを感じさせられた。
僕は何の上に立たされ、僕という個人を演じているのだろうか。
しかもそれは何のために…。



2009年2月1日[日] なんだかやば〜い

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


夕べの二次会でじわじわと体調が優れなくなるのを耳の後ろあたりのぼあっとした感覚と背中から臀部にかけてのおぼつかなさの両方から感じていた。年末のあの調子が崩れて行く様子と似ている。これはヤバイ!

帰りの電車の中はかなり辛くて、帰宅する早々寝てしまった。

今日は体調を取り戻そうと、久し振りにお昼近くまで寝た。
起きてからしばらくは気分も身体もイマイチだったが夕方近くになるとなんとか調子を取り戻していた。

この一週間、呑む機会が多く、夜も遅かったから、ぶり返したのかもしれない。
気をつけないといけない。