お猿の戯言 homosapiensaru's babble


2015年3月20日[金] 身近な宇宙



近所の地蔵菩薩にはお出かけ前に必ず手を合わせます。その祠を世話している方がおられ、周囲に綺麗な花が植えられています。その花々に蝶々や蜜蜂などの虫たちが集まり生命の連鎖といった宇宙が見え隠れしています。今日も合掌する横で菜の花の花粉にまみれた蜂がおりました。人が意識しようとしまいと自然はこうして大きなシステムの中で回転しています。我々は逆に意識することで、自然を破壊し、結局は自分たちの足下を掬うことをし続けています。





2015年3月15日[土] ロベール・クートラス

自分の描く猿がオーバーラップした。<br>夜をお友達にしよう。
自分の描く猿がオーバーラップした。
夜をお友達にしよう。



何年前のことだったろう。
某婦人誌で初めて知ったロベール・クートラスの作品。
松濤美術館でオリジナルを観ることができた。
期待を超える面白さだった。
グワッシュを使っていた頃の感覚が蘇る。
どこか懐かしい素敵な作品だ。

彼は夜描いていたという…。

人の姿をしていると入ることのできない闇がある。
夜な夜な形を変えてその世界を行き来する。
彼は色彩にあふれた暗闇を肺の中いっぱいに溜め込んで
アトリエに戻るたびにキャンバスや紙にぷ〜っとそれを吹きかけるのだ。
するとその少しばかりざらついた半透明などこか暖かな闇色が
何層にも亙ってコーティングされ、魅惑に満ちた作品が結晶化する。

それは就寝中の天使のまぶたの裏側の色。
艶っぽさと粉なっぽさが同居したキャラメルのような甘さの夜の色。

なんとも言えない明るい暗闇がそこに出現し、
脆弱そうなのに確かなものが横たわる。




2015年3月15日[土] 有元先生

「花降る日」116.7×90.9cm 1977<br>この絵が眼に飛び込んできた
「花降る日」116.7×90.9cm 1977
この絵が眼に飛び込んできた



小川美術館に有元利夫展を観に行く。

大学2年生のとき、基礎造形(だったか?)の授業を有元先生がご担当された。が、その時点では、もったいないことに先生がどれだけ凄い人なのかを知らずに接していた。二〜三週間という時間だったが、とても魅惑的な先生だなぁと感じながら指導を受けていた。それは、大学時代を振り返ってみると自分にとって最も有意義な授業だったことは間違いない。

東京藝術大学では、3年次に古美術研究旅行がある。
奈良にある宿舎に着くと、まだ集合時間まで時間があったので、書架にあった芸術新潮のページをなんとなく捲っていると、眼が釘づけになった。
それが有元先生の絵だった。安井賞特別賞を受賞された記事だった。
その後驚いたことに、その有元先生がこの旅行の引率教員だったのだ。それを知るといてもたってもいられなくなり、当時は相当のコミ症の私だったが、その晩から、夕飯後は有元先生を独り占めにして、あれこれと思いつくままに絵の話をさせていただいた。今思えばあり得ないくらいの贅沢な思い出だ。

有元先生の逝かれた年齢から遥かに20年ほどを超え還暦に近くなった自分が、久し振りに先生の絵に対峙してみると、変わらず頭を垂れるばかりだ。短い時間ではあるものの至福の時を味わわせていただくことができた。