お猿の戯言 homosapiensaru's babble


2010年2月17日[水] 無節操 と 不摂生



ⓒhiroki taniguchi


2010年2月14日[日] 埼玉県立美術館へ


ⓒsettai komura「春告鳥」1932年頃
ⓒsettai komura「春告鳥」1932年頃
ⓒsettai komura「青柳」1924年頃
ⓒsettai komura「青柳」1924年頃

不思議なもので観なくてはならないものは見えないものの力によって導かれる。

なんとなく気になって埼玉県立近代美術館のサイトを調べると、やばい、これまた先週の状況と一緒だ。「小村雪岱」展が今日までだ!
これはどうしても見逃す訳にはいかない!締切りを抱えつつも行くっきゃない!

という訳で今日は北浦和だ。

小村雪岱(こむら・せったい 1887-1940)は、竹久夢二と同時代に「昭和の春信」と呼ばれ、挿絵や装幀、舞台美術などで活躍した画家だ。東京美術学校(現、東京藝術大学)で下村観山教室に学んだ日本画家だが、在学中に泉鏡花と出会い、鏡花の小説『日本橋』の装幀を手がけたことを契機にデザインの世界に足を踏み入れた。資生堂のデザイナーでもあった。

デザインもできる絵描き?絵の描けるデザイナー?迷うまでもなく前者だが、日本画というものはデザイン的な側面をとても多く備えている。装幀された書籍を見ても、挿絵を見てもデザイン的センスに溢れている。軸物もよかったなぁ(舞台美術の作品は自分の好みとしてはあんなに要らない)。

雪岱が現れてから追従した作家たちの作品も数多く出ていたが、雪岱は、琳派における宗達のような存在だなと感じた。


いやぁ、よかった、よかった!この心意気と品格の高さ!勉強になります!
なんだか背中を押された気がしたものだ。


 → 埼玉県立近代美術館





2010年2月13日[土] 武蔵野市立吉祥寺美術館へ

ⓒshinichi saito「陽の雪野」1977
ⓒshinichi saito「陽の雪野」1977
ⓒshinichi saito「道」1963
ⓒshinichi saito「道」1963
ⓒshinichi saito<br>「星になった瞽女<br>(みさお瞽女の悲しみ)」1972
ⓒshinichi saito
「星になった瞽女
(みさお瞽女の悲しみ)」1972



あと一週間で終わる(21日[土]まで)「齋藤真一展」が気になって、無性に観たくなり吉祥寺へ向かう。

齋藤真一は瞽女(ごぜ/三味線を携え農村・山村を巡る盲目の女性遊行芸人)を描いた画家として有名だ。

大学生のときに好きで観ていた。こういう日本のキッチュな系統、結構気になります。
国吉康雄や藤田嗣治にしてもどこかキッチュだと思うし、竹久夢二に至ってはもう…ってな感じになります。竹久夢二にはあまり触手が伸びませんが…。
日本の洋画の雰囲気ってなんかこう閉じた面白いものがありますよね。

小説でも、私小説なんてのがありますが、そんな感じでしょうか。そこに血が騒ぐ感じというものが同じ日本人としてどういう訳かあるんですね。

齋藤真一、個人的でよかったなぁ。
イラストレーションとどこが違うのかというと、絵具のつきですかねぇ。
絵に向かう姿勢、時間の操り方が違う。


 → 武蔵野市立吉祥寺美術館


山形の出羽桜美術館に齋藤真一美術館が併設されていて、東北芸術工科大学に勤めていた頃はたまに車を飛ばして出かけたものだ。

武蔵野市立吉祥寺美術館は、伊勢丹吉祥寺店新館に入っている。入館料が100円というのは驚きだ!おまけに同じフロアに銅版画家の浜口陽三と萩原英雄の記念室が常設されている。浜口陽三のメゾチントはもの凄いテクニックだ。美しい。しかし、魂に響かない。ぞわっとくる感覚が乏しい。
それと比較して、齋藤真一は胸の辺りを逆撫でられる感じがあるのだ。この感じなんだなぁ。身体のどこかしらがムズムズっと来ない絵はつまらんなぁ。


TOM'S BOXへ

吉祥寺と言えば、主(ぬし)に挨拶をしなければならない。という訳で、TOM'S BOXへ顔を出す。
土曜日は確か出番だったと記憶していたが…おぉ、いたいた!オーナーの土井章史さんが店番だ。
ビール、もとい、発泡酒をごちそうになり、雑談をし帰路についた。
土井さんには、我が工芸大学で絵本の講座を持っていただいている。
また、ゆっくり呑みましょう!





2010年2月11日[木] いよいよ審査の日だ!

至るところで遭遇いたしました。
至るところで遭遇いたしました。



朝9:00に美術館の学芸課の方が迎えにみえる。
ホテルのロビーで今日ご一緒する祖父江慎氏と顔を会わせる。
「お久しぶり〜」と声を交わす。
ほんとうに久し振りだ。
何年お会いしていなかったのだろう。

タクシーで美術館へ向う。
10分ほどで着いただろうか。
審査員たちが待つ控え室に通される。

宮崎県美術展には、絵画、彫刻、書、写真、工芸、デザイン、映像の7部門があり、祖父江さんと僕はデザイン部門の審査を担当する。
絵画部門の審査員には画家の久野和洋氏(この方の絵も大好きです!)や奥山民枝氏(12月26日のdiary参照)、写真部門には今森光彦氏と豪華メンバーが顔を揃えていらっしゃる。審査が始まるまでの雑談などが興味深かった。大先輩の奥山さんには初めて顔を会わせたのだが、この出会いには感激した。このような充実した時間を持つことができたのは、神の計らいの何ものでもない。

審査が始まる。
全165点の作品の応募者のほとんどが高校生だ。一般の方が10名くらいだったか…。
しかも、規定サイズはB1とB2の両方があるのにも関わらず、全作品がB1サイズだった。
カテゴリーとしては、ポスターとイラストレーションと構成作品(立体、半立体、プロダクトデザイン、人形等)があるが、過半数をイラストレーションが占めており、みんな細かくていねいによく描いていた。このパワーはうれしい。

祖父江さんは、とにかくユニークで面白く、楽しい方だ。一緒に審査をしていて飽きないし、意外や意外(失礼!)頼もしい。審査中、いろんな話もし、久し振りに再会できたことがうれしかった。

一通りの審査が終わり、帰路につく。
帰りに、美術館の女性スタッフからなんと!義理チョコをいただいてしまった!
こんな場所で、粋な計らい。そうか世の中は、バレンタインデーなんだということに気づき、自分が世間から相当ずれていることを確認した。やれやれ…。

いやぁ、しかしいい日だったなぁ。
宮崎県立美術館のスタッフのみなさん、素敵な時間をありがとうございました。


 → 第36回 宮崎県美術展





2010年2月10日[水] 宮崎県に入る

飛行機の中で落書き
飛行機の中で落書き
鴨がのんびりとテトラポットで<br>休んでいるのだが<br>近づくと逃げてしまう
鴨がのんびりとテトラポットで
休んでいるのだが
近づくと逃げてしまう
大淀川で釣りをする人の車に<br>乗っていたブルドッグ<br>なんでも釣人は<br>「ヌチ」でも釣れればと言っていた…
大淀川で釣りをする人の車に
乗っていたブルドッグ
なんでも釣人は
「ヌチ」でも釣れればと言っていた…



空港を出ると暑い暑い!
やっぱり九州は暑いなぁ!
(それもそのはず、観測史上初の天候だったそうで、26℃もあったそうだ!)

夕方にホテルに入るが特にすることがなく、ホテルの前の大淀川(宮崎県で一番大きい川だ)の土手に出て海の方へ向ってただひたすらぶらぶらと歩いてみた。

土手には、スミレが咲いていた。
宮崎はすっかり春模様で、マフラーもコートも要らない。

曇り空と川の水の色がどんよりと灰色がかって世界は境目が無くなっている。
もうすぐ海につながる川の水は、気持ち、しょっぱく感じたが、これはお話を面白くするための脳の操作だろう。

のんびりとこんな風に時間を過ごしたのはいつのことだったか。

岸辺近くに鴨がたくさん浮かんでいる。
写真でもと、そっと近づくと、すーっと逃げられてしまう。
な〜んにもしないよ〜と言いながら近づいてもすーっと遠ざかって行く。
俺は他の人間とは違うんだぞぉ〜とテレパシーを送ってみても伝わらない。

アンタノドコガホカノヒトトチガウノサ

…と言わんばかりの冷ややかな視線を鴨全員が僕に向って送っているようだ。
というよりは、実は鴨たちは僕となんとか眼を合わさないようにしている様子だ。

ときどき、魚がはねる。

気分が良くなって、橋をもう四つもくぐった。
ホテルからずいぶん遠くに来たもんだ。
さっきから腹が減ってぐうぐう鳴っている。
そろそろ夕飯だなと腹をなでると、ぽつぽつと冷たい物が額を濡らす。

雨だ!
傘がない!

タクシーでも拾って美味い店でも紹介してもらおうと、大きな道へ急ぐ。
県道10号線だ。しばらく歩いてもタクシーは姿を見せない。雨はだんだん強くなる。
しびれを切らし、途中で104をダイヤルし宮崎交通の連絡先を知るが、どこにいるのかを説明できないことに気がつき、向かいに見えるガソリンスタンドで自分の居場所を聞こうと信号機の歩行者用のボタンを押した。信号がなかなか変わらない。その内に雨は台風のような勢いに変わっていった。信号がようやく変わる。どれくらい待っただろう?30分くらいは待った気がするけれど、恐らく5分くらいのことだったんだろう。ジャケットの内側もだいぶ湿気を含んできた。ガソリンスタンドへ急ぐ。

スタンドの無骨ながらににこにこ青春顔をした店員にこの場所を訪ねるとさらにパッと円満の笑顔になり、タクシーお呼びいたしますよ〜!と気さくな対応をしてくれた。お〜!親切!なんといういい人たち!気候だけでなく人もあったかいや〜。ありがとう。

ほどなくしてタクシーが来て、空腹を伝えると地鶏の美味しい店に案内してくれた。この運ちゃんがまたいい。「そこ、悪いけんど地鶏しかないよ。それでもええ?」「冷や汁(宮崎県の郷土料理)とかないの?メヒカリの天ぷらとか?…」と言いかけて、うん、運ちゃんに任そう…と決めた。店に着くと先に運ちゃんが入っていき、店主に何やら話してからまた出てくると、僕が雨に濡れないように車の外でビニール傘を広げてくれる。ええなぁ〜、この心遣い。

「宝船」というお店だ。カウンター席しか無く、しかも7人座れるかどうかといったこじんまりとした店だ。演歌歌手のポスターやら芸能人やらの色紙がどやどやっと貼ってある。どうしようかなぁと考えていると「ももやきがいいよね」と促される。「いいですね」とご主人のいう通りにする。実は選択肢がないのだ。地鶏に関しては「ももやき・たたき・さしみ」の三種類しかお品書きがない。その隣の行に「一品」とあるので尋ねると、女将が「今日、作ってな〜い」という返事。そのまた隣の列にある「ごはん」は?と聞くと、「炊いてな〜い」という。挙句の果てに「どうしても食べたいんなら、向いのお弁当屋(ほかほか亭)に行って買ってくるかい?」だって。いいねぇ、商売っ気ないねぇ。でもこの「ももやき」、おいしいのなんのぉ〜!絶妙なタレの味と炭焼きの香りがうま〜く混ざりあって何とも言えないテイストに仕上がっている。黒霧島(芋焼酎)のお湯割りとまたよく合うわ!ここのおいしさは、翌日に同じものを別の店で食してよくわかった。店のおやっさんがなんやかやとお店についてのお話をしてくれるが、楽しそうに生きている感じでほっこりしてくる。

宝船を後にした。「ももやき」に満足はしたものの、まだちょいと物足りないので、ホテルに戻って、日向料理の「汐彩」に寄る。どうしても「冷や汁」というものを味わってみたかった。
愛媛でも同じようなものを食べたことがある。なんともこの身体に効きそうな感じいいですねぇ。魚ロッケも美味しかった。これはメヒカリの天ぷら(天ぷらとは、こちらではさつま揚げのこと)をフライにしたものだ。宮崎牛も少々食し、芋焼酎を煽って、店を後にした。

今度はお腹ぱんぱんになって苦しくなってしまったぁ〜。少しこなれたところで温泉に入って、床につく。

明日は審査だ。お仕事だ。





2010年2月9日[火] 毎日忙しいねぇ




今日は、東京イラストレーターズ・ソサエティの理事会があった。
選挙で選ばれた新理事とのご対面。
久しぶりに参加することができた。理事のみなさん、真面目である。

明日は、宮崎に移動する。
11日に宮崎県立美術館で宮崎県美術展のデザイン部門の審査をする。

このお話が来たとき、
そうだよなぁ、自分はもはや審査をする立場なんだよなぁ〜
と背筋をきゅっと伸ばしたものだ。

どんな作品に遭遇するのだろう。
一緒に審査をするのが、デザイナーの祖父江慎さんだ。
宿は温泉つきで楽しみだなぁ。
仕事だけれどちょっとした息抜きの時間になるので、こういう仕事はウエルカムだ。




2010年2月7日[日] 柴田是真

稲穂に薬缶/角盆
稲穂に薬缶/角盆
印籠<br>沢瀉(おもだか)をあしらっている
印籠
沢瀉(おもだか)をあしらっている
上の印籠の裏には片喰(かたばみ)が<br>デザインされている。<br>この植物は私も大好きだ。
上の印籠の裏には片喰(かたばみ)が
デザインされている。
この植物は私も大好きだ。



初めてハワイへ行ったときにも美術好きの私としてはすぐに美術館へ向う訳だが、この時もまた御多分に洩れずにホノルル美術館(Honolulu Academy of Arts)へ出かけた。そこで出逢ったのが柴田是真(しばたぜしん)だ。江戸幕末(1807年/文化4年)から明治(1891年/明治24年)にかけて85年の生涯を一本気で頑固な職人として生きた人物だ。蒔絵師であり、画工だった。

私の場合、外国へ行って異国文化に触れて外国かぶれするというよりは、異国の地で日本文化に触れて日本かぶれになるケースが多い。
この時もそうだった。是真の作品を前にして「オモシロ〜イ!」と単純に感じた。何か、血がゾワッと沸き立つ感じがあった。日本人ってすごいなぁとエラく感心したものだ。

そういえば、ホノルル美術館は、鈴木春信(浮世絵師/錦絵の創始者)の良さにも気づかされた場所だった。

この是真の作品は、意外にも日本ではなかなかお目にかかれないのだが、今回三井記念美術館で展覧会があると知って楽しみにしていたのだが、ふと気になって自室の壁に貼ってあるチラシを見ると、今日が最終日じゃないか!

今日は、昼間TVで北斎とお栄(北斎の娘)の話を放映していて、これが面白くて見ている内、時計を見たら、やばい!あと30分で最終入館時間だぁ!

慌てた慌てた!家を出て、駅まで走る走る!東京駅まで向う電車の中で最早間に合わないことを自覚したが、奇跡よ起これぇ〜!なんて祈りながらも駅に到着するまでイライラしていた。最悪、図録だけでも買って帰ろうなんて諦めの気持ちも持ち上がってくるものの、東京駅に着いたら、またまた、走る走る!52歳頑張る!意外に遠いぞぉ〜!(最寄り駅で一番遠い駅で降車してしまった!銀座線の三越前が便利でした。)

ダメ元で美術館の入口まで行き、恐る恐る尋ねたら、時間ありませんがよろしかったらどうぞ…と通された。もう閉館まで20分もない。やれやれと思いつつ館内に入ると、第1室から人がまだ溢れている。こりゃぁ、もしかして…なんて一瞬期待したら、なんと!30分延長の場内アナウンスが!奇跡は起こった!なんでも諦めないことだなぁ〜なんて自分のていたらくを棚に上げ、神の計らいに感謝しつつ、ゆっくりと観ることができた。

是真のテクニックは超絶だ!是真が18歳のときに作った扇を見て、10歳年上の歌川国芳(浮世絵師)が弟子入りを申し出たという話があるほどだ。テクニックだけでなく、アイデアというか「遊び心」が粋だ。それに、北斎親子もそうだし、是真にしても、彼らに通ずるこの品格の高さは何だろう。いやはや、溜息が出るが、この血が私にも日本人としてわずかでも流れてくれているとうれしい。


 → 三井記念美術館


蟹文鐔
蟹文鐔



2010年2月4日[日] 節分翌日



ⓒhiroki taniguchi